現代アートの文脈

スペキュラティヴ・リアリズムと現代彫刻:物質性、存在論、そして非人間主体の視点

Tags: スペキュラティヴ・リアリズム, 現代彫刻, 物質性, 存在論, 非人間主体, オブジェクト指向存在論

はじめに:スペキュラティヴ・リアリズムという新たな文脈

現代アート、特に彫刻作品を考察する際に、その物質性や存在論的な問いかけは常に重要な要素でした。しかし、21世紀に入って顕著になった「スペキュラティヴ・リアリズム(Speculative Realism, SR)」と呼ばれる哲学潮流は、これらの要素に対し、従来の人間中心主義的な視点とは異なる、根本的な再考を促しています。本稿では、スペキュラティヴ・リアリズムの主要な思想を概観しつつ、それが現代彫刻の制作、鑑賞、そして批評において、物質、存在、そして人間以外の主体との関係性をどのように捉え直す可能性を秘めているのかを探ります。

スペキュラティヴ・リアリズムの思想的基盤

スペキュラティヴ・リアリズムは、主にクエンティン・メイヤスー、グラハム・ハーマン、イアン・ハミルトン・グラント、レイ・ブラシエといった思想家によって展開された哲学運動です。彼らは、カント以降の哲学における「相関主義(correlationism)」、すなわち人間と世界の関係性を離れては世界の存在を語れないという立場を批判し、人間から独立して存在する事物のリアリティを思弁的(スペキュラティヴ)に探究しようと試みました。

この潮流の中で特に現代アート、とりわけ彫刻に深く関連するのは、グラハム・ハーマンが提唱する「オブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology, OOO)」です。OOOは、あらゆる存在者を、人間、動物、無生物、概念、架空の存在など、あらゆるレベルの「オブジェクト」としてフラットに捉えます。そして、これらのオブジェクトは互いに完全にアクセスすることはなく、「隠蔽」されながら関係し合っていると考えます。この視点は、物質や事物といったものが、人間の知覚や解釈、使用といった相関的な関係性から解放され、それ自体の独立した存在として捉え直される可能性を示唆します。

現代彫刻における物質性の再考:単なる素材から自律するオブジェクトへ

伝統的な彫刻において、素材(石、木、金属など)はしばしば、彫刻家の意図や技術によって形を与えられ、人間の概念や感情を表現するための手段として扱われてきました。しかし、スペキュラティヴ・リアリズム、特にOOOの視点からは、素材は単なる受動的な物質ではなく、それ自体が固有の性質と関係性を持つアクティブな「オブジェクト」として認識されます。

この観点から現代彫刻を見ると、素材そのものの固有性や振る舞いを重視する傾向、あるいは素材の組み合わせから予期せぬ関係性や新たな存在論的次元が出現することを探求する実践に、新たな深みを見出すことができます。例えば、自然物(石、土、植物)や人工物(工業廃材、プラスチック、電子部品)が、人間の介入を超えた、それ自体の「オブジェクト」としてのリアリティを主張しているかのような作品は、この思想と響き合います。アーティストは素材を操作するだけでなく、素材というオブジェクトの持つ「隠蔽された」性質や、他のオブジェクトとの複雑な相互作用を探る探検家となるのかもしれません。

存在論的な探求と非人間主体の位置づけ

スペキュラティヴ・リアリズムは、人間中心的な世界の捉え方を批判し、人間以外の存在者(非人間主体)のリアリティを強調します。現代彫刻においても、人間、動物、植物といった生物に加え、鉱物、機械、データ、自然現象といった非人間的な存在者が、単なる背景や道具としてではなく、作品の一部あるいは対等な存在者として扱われるケースが増えています。

これは、作品が人間の知覚や解釈だけでなく、非人間的な力やプロセス(例えば、風化、重力、アルゴリズム、生物の成長など)によっても形作られる、あるいはその影響下に置かれるといった制作方法にも表れます。スペキュラティヴ・リアリズムの視点からこうした作品を考察すると、作品が提示するのは人間が見る「像」だけでなく、人間には直接アクセスできない、事物そのものの存在や、非人間主体間の関係性に関する思弁的な問いかけであると捉えることができます。これは、鑑賞者である人間が、作品というオブジェクト、素材というオブジェクト、そして非人間的なオブジェクトたちのネットワークの中の一つのオブジェクトとして位置づけられる可能性を示唆します。

具体的な作品例にみるスペキュラティヴな視点

特定の現代彫刻家が直接スペキュラティヴ・リアリズムの思想を制作の基盤としているかどうかは別としても、その哲学が提起する問題意識と共鳴する作品は多く存在します。

例えば、アナ・メンディエタの「アース・ボディ・ワーク」シリーズは、自身の身体と大地や自然素材を一体化させ、人間の身体性を超えた、地球そのものの物質性や生命力との根源的な繋がりを探求しました。これは、人間というオブジェクトがより広大な非人間的オブジェクト(大地)と結びつく様を提示しています。

また、トーマス・サラセーノのクモの巣を用いたインスタレーションは、人間が制御しきれない非人間的な存在者(クモ)による生成プロセスと、その結果としての予測不能な、しかし構造的に厳密な形態を探求しています。クモの巣という物質的な構造物は、クモの行動という生物的オブジェクト、そして物理法則という非人間的オブジェクトの相互作用によって生まれ、人間の意図を超えた自律的なリアリティを持ちます。

さらに、リチャード・セラの巨大な鉄の彫刻は、その圧倒的な物質性と重力によって、鑑賞者の身体的な知覚だけでなく、素材である鉄そのものの「存在感」を強く意識させます。これらの彫刻は、人間による操作の結果であると同時に、物質固有の性質が形態に深く関与していることを示唆し、物質というオブジェクトの独立性を思弁させます。

これらの例は、スペキュラティヴ・リアリズムが現代彫刻の理解に提供しうる新たな視点、すなわち人間中心的な見方を乗り越え、物質、存在、非人間的主体といった要素をフラットかつ深く探求する可能性を示しています。

結論:スペキュラティヴ・リアリズムが拓く現代彫刻の地平

スペキュラティヴ・リアリズムは、現代彫刻が持つ物質性や存在論的な問いかけに対し、人間中心主義からの脱却という根本的な視点を提供します。オブジェクト指向存在論を中心に展開されるこの思想は、彫刻における素材を単なる受動的な媒体ではなく自律的なオブジェクトとして捉え直し、作品の中に人間以外の存在者や非人間的なプロセスをよりアクティブな主体として位置づけることを可能にします。

この哲学的な文脈から現代彫刻を見ることで、私たちは作品が提示する世界を、人間の知覚や解釈に還元されない、より広大で複雑な存在論的ネットワークの一部として捉えることができます。それは、物事が互いに隠蔽し合いながら関係する世界のリアリティを思弁的に探求する試みであり、現代彫刻の創造と理解に新たな地平を拓くものと言えるでしょう。スペキュラティヴ・リアリズムは、現代アート研究者や愛好家にとって、作品の深層に潜む存在論的な問いや、非人間主体との新たな関係性を読み解くための強力なツールとなる可能性があります。