現代アートの文脈

サウンドアートと聴覚の現象学:音響空間における知覚の再構築

Tags: サウンドアート, 現象学, 知覚論, インスタレーション, ジョン・ケージ, メルロ・ポンティ

はじめに:聴覚への着目とサウンドアートの台頭

現代アートはその多様な表現形式において、しばしば視覚芸術の範疇を超越します。サウンドアートもその一つであり、音や聴覚体験そのものを主要な表現媒体とすることで、従来の美術史における視覚中心主義に一石を投じてきました。本稿では、サウンドアートが単に音を用いた芸術であるに留まらず、私たちの知覚、特に聴覚体験の本質を問い直し、空間や時間との関係性を再構築する試みであることを、現象学的な視点を交えながら論じます。視覚に偏重してきた西洋哲学や芸術観に対し、サウンドアートがいかに聴覚の重要性を浮き彫りにし、新たな文脈を提供しているのかを探ります。

サウンドアートの技術的・歴史的背景

サウンドアートの萌芽は、20世紀初頭の未来派やダダイスムに見られるノイズや機械音への関心にさかのぼることができます。ルイージ・ルッソロの『騒音芸術』(1913年)はその思想的な基盤を提供しました。しかし、サウンドアートを現代的な文脈で確立した人物として、ジョン・ケージの存在は不可欠です。彼の「4分33秒」(1952年)は、演奏者が何も演奏しないことで、環境音や聴衆が発する音そのものを作品の中心に据え、沈黙と音、意図と偶然性、そして聴取という行為自体への意識を向けさせました。

録音技術や電子音響技術の発展は、サウンドアートの表現領域を大きく広げました。ピエール・シェフェールによる具体音楽(musique concrète)は、既存の音源を録音・加工し再構成する手法を確立し、音源から切り離された「音そのもの」を素材とする可能性を開きました。また、R. マリー・シェーファーによるサウンドスケープ(soundscape)研究は、環境音を文化や社会、生態系と結びつけて考察する視点をもたらし、場所固有の音響環境を作品化するサイトスペシフィック・サウンドアートの発展に影響を与えました。

現代のサウンドアートは、スピーカーやマイクを用いたインスタレーション、バイノーラル録音による没入体験、データやアルゴリズムに基づく音響生成、インターネットを介した分散型サウンドパフォーマンスなど、多岐にわたる技術と形式を取り入れています。これらの技術は、単に音を「聞かせる」だけでなく、音を通して空間を体験し、身体的な感覚や知覚そのものに働きかけるための重要な要素となっています。

思想的背景:聴覚の現象学と知覚の再構築

サウンドアートが深遠な洞察を提供する背景には、現象学、特にメルロ=ポンティの知覚論があります。西洋哲学はデカルト以来、視覚を理性や客観性の主要な窓口と見なし、聴覚や嗅覚、触覚といった他の感覚を副次的なものとして扱いがちでした。しかし、メルロ=ポンティは、知覚は身体を通じた世界との関わりであり、視覚だけでなくすべての感覚が複合的に作用し合い、世界認識を構成すると説きました。

聴覚は、視覚と異なり、方向を限定しにくく、私たちを取り囲む空間全体から同時に音を受け取ります。音は私たちを包み込み、内と外の境界を曖昧にし、空間そのものを動的に感じさせます。また、音は時間とともに変化・減衰する性質を持つため、聴覚体験は時間性や連続性と深く結びついています。サウンドアートは、こうした聴覚の特性を積極的に利用することで、身体が空間や時間の中でいかに知覚し、存在しているのかを問い直します。

ピエール・シェフェールの「縮減聴取」の概念は、現象学的なアプローチと共鳴します。これは、音の発生源や意味内容から離れて、音色、リズム、テクスチャといった音そのものの性質に注意を向ける聴取方法です。サウンドアートは、日常的な音やノイズを文脈から切り離し、あるいは新たな文脈の中に配置することで、聴取者に対し「どのように聞くか」を意識させ、聴覚の能動的な働きや多様な可能性を顕在化させます。

さらに、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの哲学における「リゾーム」や「脱領域化」といった概念も、サウンドアートにおける非線形的で固定されない音響空間のあり方や、複数の要素が複雑に絡み合う知覚体験と結びつけて考察することが可能です。音は特定の中心を持たず、空間を横断し、境界を溶解させ、絶えず変化する流れを生み出します。

具体的な作品事例とその分析

サウンドアートのこうした思想的背景は、多くのアーティストの作品に具体的に現れています。

マックス・ノイハウスは、ニューヨークのタイムズスクエア地下通路に恒久設置されたサウンドインスタレーション「Times Square」で知られます。これは、換気口の下に設置されたスピーカーから、特定の共鳴周波数を持つ持続的な音を発する作品です。この音は、周囲の交通騒音や環境音と混ざり合い、常に変化する「音響の場」を作り出します。ここでは、特定の場所における聴覚体験そのものが作品となり、通行人は意識せずともその音響空間の一部となります。これは、場所の固有性と聴覚体験を結びつけ、日常的な環境における知覚のあり方を問い直す試みと言えます。

ジャネット・カーディフとジョージ・ビュレス・ミラーの「The Walk」シリーズは、バイノーラル録音を用いたオーディオウォーク作品です。参加者はヘッドフォンを装着し、録音された音声指示に従って特定の場所を歩きます。ヘッドフォンから流れる音は、かつてそこで起こった出来事や、今現在の環境音に重ねて聞こえるように設計されており、過去と現在、現実とフィクション、視覚的な情報と聴覚的な情報が入り混じった独特の知覚体験を生み出します。これは、聴覚が記憶や想像力、そして身体の移動といかに深く結びついているかを示唆し、知覚が多層的で身体的なプロセスであることを強調します。

クリスティン・スン・キムは、自身が聴覚障害者である経験から、音を視覚化したり、身体で感じたりする作品を制作しています。彼女の作品は、音響信号を視覚的なグラフィックに変換したり、手話や身体の動きを用いて音の概念を表現したりすることで、聴覚に依存しない、あるいは聴覚以外の感覚を通して音を体験する可能性を提示します。これは、聴覚という感覚自体が、文化や身体の多様なあり方によって異なりうることを示し、知覚の普遍性について問いを投げかけます。

池田亮司は、数学的データや物理現象を基にした極限的な電子音響作品やインスタレーションで知られています。彼の作品は、人間の聴覚の限界に迫るような高周波音や複雑な音響パターンを用い、時に身体的な不快感や変容を伴う強烈な知覚体験を引き起こします。ここでは、音響技術が知覚の限界を拡張し、理性的な理解を超えた身体的なレベルで鑑賞者に働きかける試みが見られます。

サウンドアートがもたらす知覚の再構築

これらの事例が示すように、サウンドアートは単に「聞かせる」だけでなく、私たちの聴覚体験を分析し、拡張し、そして再構築する可能性を秘めています。

  1. 視覚中心主義からの脱却: 聴覚を主要な感覚として扱うことで、現代アートにおける視覚の優位性を相対化し、多様な感覚の重要性を再認識させます。
  2. 空間と時間性の新たな知覚: 音は空間を満たし、その響きは時間とともに変化します。サウンドアートは、空間を静的な容れ物としてではなく、絶えず振動し、関係性を生み出す動的な場として、また時間を線形的な流れとしてだけでなく、層となり、重なり合うものとして体験させます。
  3. 身体と環境との関係性の探求: 聴覚は私たちを取り巻く環境と最も直接的に結びついた感覚の一つです。サウンドアートは、私たちが音響環境の一部であり、環境と相互に影響し合っている存在であることを意識させます。身体が空間の中でどのように音を知覚し、反応するのかという、身体性に基づいた知覚を強調します。
  4. 聴取行為の意識化: 日常的に無意識に行っている聴取という行為に焦点を当てることで、私たちはどのように音を選択し、解釈し、意味づけているのかを自覚させられます。これは、知覚が単なる受動的なプロセスではなく、能動的な働きかけであることを示唆します。

まとめと展望

サウンドアートは、技術的な革新と哲学的な探求が深く結びついた現代アートの重要な領域です。それは、視覚中心主義的な思考から離れ、聴覚という感覚を通して世界を捉え直すことを促します。現象学的な視点から見れば、サウンドアートは私たちの身体が空間や時間の中でいかに存在するのか、そしていかに知覚を通して世界と関わっているのかを、音という非物質的な媒体を用いて問いかける実践と言えます。

今日の情報過多な視覚環境、あるいは絶え間ない騒音に満ちた都市環境において、聴覚に意識的に向き合うサウンドアートの意義は増しています。それは、私たちが自身の知覚のあり方を省察し、環境とのより繊細な関係性を築くための洞察を与えてくれます。今後も、新たな技術の登場や、異分野との連携(脳科学、心理学、エコロジーなど)によって、サウンドアートは私たちの知覚と世界の理解を拡張し続けるでしょう。