リレーショナル・アートにおける社会的関係性:参加と共同体の哲学
リレーショナル・アートとは何か:関係性の美学
リレーショナル・アート(Relational Art)、あるいは関係性の美学(Relational Aesthetics)は、1990年代に批評家ニコラ・ブリオーが提唱した芸術概念であり、従来の作品中心主義から脱却し、人間と人間の「関係性」や、作品が生み出す「社会的環境」そのものを芸術の実践と見なすものです。ブリオーは、著書『関係性の美学』(Esthétique relationnelle)において、冷戦終結後の世界において、芸術は社会的インタラクションを生み出し、共同体を形成する機能を持つべきだと主張しました。これは、作品そのものの物質的な形態や視覚的な美しさよりも、作品が触発する人間同士の交流や状況設定に価値を置く点で、それまでの芸術とは異なる視点を提供しました。
作品の技法:参加と状況の生成
リレーショナル・アートの作品は多岐にわたりますが、共通するのは鑑賞者が単なる受動的な観察者ではなく、作品の一部として「参加」することを促す点です。技法というよりも、それは「状況を生成する」実践と言えます。具体的な例としては、アーティストが観客に食事を振る舞う、共にゲームをする、議論を行う、あるいは特定の場所で時間を共有するようなプロジェクトがあります。
- 参加型プロジェクト: 鑑賞者が能動的に関わることで作品が成立します。単に作品を見るだけでなく、何かを行う、話す、共に体験するといった行為が不可欠となります。
- 社会的実験: 日常的な空間や行為を芸術のコンテクストに置き換えることで、参加者は自身の社会的役割や他者との関係性について改めて意識させられます。
- ** convivialité の創出:** ブリオーが重視する概念の一つに「convivialité」(共に生きること、共食・共飲の親密さ)があります。作品は、このような人間的な交流や親密な瞬間を生み出すためのプラットフォームとして機能します。
これらの実践において、作品の「形」は不定形であり、常に変化しうるものです。重要なのは、そのプロセスや、そこから生まれる人間関係、対話、感情の交換といった非物質的な要素です。
思想的背景:共同体、他者、そしてポストプロダクション
リレーショナル・アートの背景には、ポスト構造主義以降の思想や、現代社会における共同体のあり方への問いかけがあります。
- 共同体の再考: ポスト産業社会において、伝統的な共同体が溶解していく中で、芸術が新たな共同体の可能性を探る場となりうるという視点。ジャン=リュック・ナンシーの「非完結的な共同体」(communauté désoeuvrée)や、モーリス・ブランショの「来たるべき共同体」(la communauté inavouable)といった思想が、リレーショナル・アートにおける共同体概念の難しさや、目的を持たない関係性の重要性を考える上で参照され得ます。
- 他者との関係性: エマニュエル・レヴィナスが論じた「他者の顔」への倫理的な応答や、マルティン・ブーバーの「我と汝」の関係性といった思想は、作品を通じて他者との出会いや交流を生み出すリレーショナル・アートの根幹に関わります。作品は、見知らぬ他者との間に一時的な、あるいは継続的な関係性を構築する契機となります。
- ポストプロダクション: ブリオーは、既存の文化生産物(イメージ、オブジェクト、形式など)を素材として再構成する現代アートの実践を「ポストプロダクション」と呼びました。リレーショナル・アートもまた、既存の社会的コードや儀式(食事、会議、ゲームなど)を借用し、それを芸術のコンテクストに再配置することで新たな意味や関係性を生成するポストプロダクション的なアプローチと見なすことができます。
これらの思想は、リレーショナル・アートが単なるコミュニケーションやエンターテイメントに留まらず、人間の存在論的なあり方や社会構造そのものに問いを投げかける試みであることを示唆しています。
具体的な作品事例
リレーショナル・アートを代表するアーティストとその作品は多数存在します。
- リクリット・ティラヴァーニャ: タイ出身のアーティスト。彼の作品で最も有名なのは、ギャラリーで観客にタイカレーを振る舞うというプロジェクトです。観客は共に食事をすることで交流し、ギャラリー空間は一時的に共同のダイニングルームと化します。作品は「食事」という行為そのものと、そこから生まれる会話や関係性にあります。
- ティル・ファン・デァ・ヘイデン: オランダのアーティスト。彼のアムステルダムのギャラリーでのプロジェクトでは、ギャラリーを住居として使用し、来訪者と日常生活を共有するという形で、アーティストと観客の間の従来の距離を解消しました。
- ピエール・ユイグ: フランスのアーティスト。彼は展覧会に人間や動物(犬、ハチなど)、植物、菌類などを登場させ、それらの相互作用や生態系そのものを作品として提示することがあります。これは人間同士の関係性だけでなく、人間と非人間の関係性をも拡張して考えるリレーショナル・アートの実践と言えます。
これらの事例は、それぞれ異なるアプローチを取りながらも、「作品」が固定されたモノではなく、生きた関係性や流動的な状況にあることを示しています。
議論と課題
リレーショナル・アートは登場以来、様々な議論を巻き起こしてきました。
- 評価の難しさ: 従来のような作品の形式的な美しさや物質的な価値を基準とした評価が困難であるという指摘があります。関係性や体験といった非物質的な要素をどのように批評し、価値づけるのかという問題です。
- 社会的有効性: 作品が一時的な交流を生み出すだけであり、持続的な社会的変化や深い関係性の構築には至らないのではないか、あるいは単なる「イベント」として消費されてしまうのではないかという批判。
- 参加の強制: 鑑賞者にとって、参加を求められることが居心地の悪さや強制感につながる可能性。
- 権力関係: アーティストと参加者の間に存在する権力関係や、作品が意図しない形で特定の社会的排除を再生産する可能性。
これらの課題は、リレーショナル・アートが探求する「関係性」や「共同体」というテーマそのものの複雑さ、そして芸術の社会的役割に対する期待や限界を示しています。
結論:関係性の時代における芸術の役割
リレーショナル・アートは、現代アートが単なる視覚的なオブジェクトの生産に留まらず、社会的なインタラクションや人間関係そのものを探求の対象とすることを明確に示した潮流です。それは、作品が静的な「モノ」であるという概念を揺るがし、流動的でプロセス指向的な実践としての芸術の可能性を広げました。
このアプローチは、情報化が進み、物理的な距離が縮まる一方で、人間関係が希薄化する側面も持つ現代社会において、共同体の意味、他者との倫理的な関わり、そして私たち自身の社会的プレゼンスについて深く考える契機を提供します。リレーショナル・アートに対する議論や批判は今も続いていますが、それは現代社会における芸術の役割、公共圏のあり方、そして人間的な繋がりの重要性といった根本的な問いを私たちに投げかけ続けていることの証と言えるでしょう。今後の芸術実践において、関係性や参加を巡る探求は、形を変えながらも重要なテーマであり続けると考えられます。