現代テキスタイル・アートにおける物質性と記憶:新唯物論と身体性の視点から
はじめに:現代アートにおけるテキスタイルの位置づけ
現代アートにおいて、テキスタイル(繊維芸術)は従来の「工芸」という枠を超え、多様な表現媒体として重要な地位を占めるようになっています。糸、布、フェルトといった素材を使い、織る、縫う、編む、染める、あるいは既製の布地を組み合わせるといった伝統的な技法に加え、インスタレーション、彫刻、パフォーマンス、デジタルメディアとの融合など、その表現形式は多岐にわたります。本稿では、現代テキスタイル・アートが単なる視覚表現に留まらず、いかに物質性、身体、労働、記憶といったテーマと深く結びつき、新唯物論や身体性の哲学といった現代思想の文脈からどのように読み解くことができるのかを考察します。
テキスタイル技法の物質性と身体性
テキスタイル・アートにおける最も根源的な特徴は、その物質性にあります。糸一本一本が撚り合わされ、織りや編みによって布という構造を形成するプロセスは、素材そのものが持つ物理的特性(柔軟性、強度、質感、色彩の吸収・反射など)と、それを扱う身体の動き、手触り、そして時間性が密接に関わっています。
手仕事によるテキスタイル制作は、多くの場合、膨大な時間と反復的な身体動作を伴います。このプロセスは、単なる技術の習得に留まらず、身体と素材、そして時間との対話であり、その身体的な痕跡や記憶が作品に織り込まれると考えることができます。フェルト化における摩擦や圧力、染色における液体の浸透、織りにおける糸の張り具合の調整など、素材と技法は常に身体の介入を要求し、作品はその制作過程における身体の経験や労力の蓄積を内包しています。
歴史的文脈と思想的背景:工芸からの脱却と再評価
テキスタイルが「ファインアート」の主要な領域から長く周縁化されてきた背景には、それがしばしば「女性の仕事」「家庭の手仕事」と結びつけられ、「工芸」というカテゴリーに分類されてきた歴史があります。しかし、20世紀後半以降、フェミニズム批評の隆盛と共に、この「工芸」と「美術」のヒエラルキーが見直され、テキスタイルの持つ身体性、労働、日常性、親密性といったテーマが現代アートにおいて積極的に探求されるようになりました。
また、グローバル化が進む中で、各地域の伝統的なテキスタイル技法や素材が持つ文化的な意味合い、歴史的な抑圧や抵抗の物語(ポストコロニアリズムの視点)も、現代テキスタイル・アートの重要な文脈となっています。布地が持つ歴史的な使用痕跡や文化的記号は、過去の記憶や集合的な経験を呼び覚ますメディアとなり得るのです。
新唯物論と身体性の哲学からの視点
現代テキスタイル・アートの物質性や身体性は、近年の新唯物論(New Materialism)や身体性の哲学といった思想潮流から新たな解釈を得ています。新唯物論は、物質を単なる受動的な存在ではなく、それ自体がアクティブな力や潜在性を持つものとして捉えます。テキスタイル素材、すなわち糸や布は、織る、縫うといった行為を通じて変容し、新たな形態を獲得するだけでなく、それ自体が鑑賞者の知覚や感情に働きかけ、環境との相互作用の中で自己組織化していくような動的な存在として見なすことができます。作品はアーティストの意図のみならず、素材そのものの特性や環境との関係性によって生成されるものとして理解されます。
また、モーリス・メルロ=ポンティに代表される現象学的な身体論は、テキスタイル制作や鑑賞における身体の重要性を強調します。身体は単に外部世界を認識する主体ではなく、世界の中に存在し、世界と相互作用する媒介そのものです。テキスタイルの手触り、重量感、柔軟性といった物質性は、視覚だけでなく触覚や運動感覚を含む多感覚的な知覚を通じて身体によって体験されます。作品は、見るだけでなく、触れる、あるいはその制作プロセスを身体的に想像することによって、より深く理解されるのです。テキスタイルにおける身体の動き、時間のかけ方、繰り返される行為は、制作するアーティストの身体、そして作品に触れる(あるいは触れることを想像する)鑑賞者の身体という二重の身体性を問い直す機会を提供します。
具体的な作品例とその分析
いくつかの著名なアーティストの作品を例に、これらの視点を考察します。
- シーラ・ヒックス (Sheila Hicks): 彼女の大規模なテキスタイル・インスタレーションは、空間の中に色彩豊かで有機的な形態を創り出します。彼女は世界各地の素材(リネン、ウール、合成繊維、貝殻、コーンハスクなど)と伝統的な技法を自在に組み合わせ、物質そのもののテクスチャー、色彩、量感を最大限に活かします。彼女の作品は、素材が持つ物理的な「ふるまい」や、身体がその空間に触れることによって生まれる知覚の多様性を問いかけ、新唯物論的な視点から物質の能動性を探求していると言えます。
- マグダレナ・アバカノヴィッチ (Magdalena Abakanowicz): 彼女の「アバカノヴィッチ」(Abakany) と呼ばれる巨大な繊維彫刻は、麻などの固い繊維素材を用い、空間を占拠する圧倒的な存在感を放ちます。これらはしばしば人間の身体、あるいは集合的な身体の断片を思わせる形態をとり、ポーランドの抑圧的な歴史的背景とも結びついて、肉体、苦痛、集合性、そして存在の重みを表現しています。物質としての繊維が、身体のメタファーとして機能し、現象学的な身体経験や歴史的な記憶を喚起します。
- 草間彌生 (Yayoi Kusama): 彼女のソフト・スカルプチャーや初期のテキスタイル作品は、反復的な縫合や詰め物によって形成され、強迫観念や自己増殖のテーマと結びついています。布という柔軟な素材が、硬質な彫刻の概念を解体し、身体の内部、精神的な状態、あるいは増殖する世界のメタファーとして機能します。これは、身体性、精神性、そして物質性(布というメディウム)が不可分であることを示しています。
- アイ・ウェイウェイ (Ai Weiwei): 彼は、伝統的な中国の技術(陶磁器、木工、そしてテキスタイル)を用いて現代的な社会批評を行います。例えば、古い子供服を集めて制作したインスタレーションは、歴史的な記憶、労働、そして政治的な抑圧といったテーマを、物質としての布地に刻み込まれた痕跡を通して表現しています。ここでは、テキスタイルが歴史や政治の「文脈」を運ぶ媒体として機能しています。
まとめ:技法と思想の交差点としての現代テキスタイル・アート
現代テキスタイル・アートは、単に視覚的に美しい作品を制作するだけでなく、素材、技法、身体、時間といった要素が織りなす複雑な関係性を探求しています。その根源的な物質性と身体性は、新唯物論が物質そのものの能動性に着目し、現象学が身体的な知覚の重要性を説く現代思想と共鳴します。また、テキスタイルの持つ歴史的な「工芸」としての背景は、フェミニズムやポストコロニアリズムといった批評的視点から、ジェンダー、労働、記憶、アイデンティティといったテーマを深く掘り下げることを可能にします。
現代テキスタイル・アートを理解するためには、作品の表面的な形態だけでなく、使用されている素材の由来、制作過程における身体の介入、そしてそれが置かれる歴史的・社会的な文脈といった多層的な側面を読み解く必要があります。テキスタイルは、まさに技法と思想が交差する場であり、物質が語り、身体が記憶し、そして布地が歴史を編む媒体として、現代アートの重要な一角を担っていると言えるでしょう。
参考文献(例)
- Brown, Elissa, et al. Radical Fiber: Threads Connecting Art and Social Justice. UC Berkeley Art Museum and Pacific Film Archive, 2014.
- Bryan-Wilson, Julia. Fray: Art and Textile Politics. University of Chicago Press, 2007.
- Grosz, Elizabeth. Volatile Bodies: Toward a Corporeal Feminism. Indiana University Press, 1994.
- Bennett, Jane. Vibrant Matter: A Political Ecology of Things. Duke University Press, 2010.
- Merleau-Ponty, Maurice. Phenomenology of Perception. Routledge, 2012 (Originally published 1945).
※ 上記参考文献は例示であり、実際の記事ではテーマに即したより具体的な文献リストを提供することが望ましいでしょう。