現代アートの文脈

現代アートにおけるマテリアリティの探求:物質性、知覚、そして新唯物論の視点から

Tags: マテリアリティ, 新唯物論, 現代アート理論, 現象学, 素材

現代アートにおけるマテリアリティの重要性

現代アートにおいて、「マテリアリティ(物質性)」は単に作品を構成する素材や材料を指すだけでなく、作品の持つ意味や観者の体験に深く関わる重要な要素として探求されています。素材の選択、扱い方、そしてそれが置かれる文脈は、作品の概念やメッセージを形成する上で不可欠な役割を果たします。本記事では、現代アートにおけるマテリアリティの探求を、その歴史的変遷、知覚との関連、そして近年注目される新唯物論の視点から論じます。

マテリアリティ探求の歴史的背景

マテリアリティへの意識は、近代絵画における平面性への探求にまで遡ることができます。キュビスムにおけるコラージュの使用や、抽象表現主義における絵具の物質性そのものへの焦点化は、絵画が描かれたイメージだけでなく、物質としての存在でもあることを改めて提示しました。

特に、マルセル・デュシャンのレディメイドは、「もの」そのものを文脈から切り離し、芸術作品として提示することで、物質の持つ潜在的な意味や、それを取り巻く制度や価値観を問い直しました。これは、素材の物質性だけでなく、それが社会や文化の中で持つ「ものとしての文脈」への意識を高めたと言えます。

ミニマリズムの彫刻においては、作品の形態は素材の持つ特性(重さ、硬さ、質感など)や、それが置かれる空間との関係によって厳密に規定されました。カール・アンドレの床に並べられた金属板や、リチャード・セラの巨大な鉄板の作品は、素材そのものの物質性、重力、空間との物理的な相互作用を通じて、観者の身体的な知覚に強く働きかけました。ここでは、作品は単なる観念の表現ではなく、物質としての存在感が前面に出ています。

ポストミニマリズム以降、アーティストたちはさらに多様な素材(例えば、フェルト、ゴム、脂、土など)を使用し始めました。エヴァ・ヘスのようなアーティストは、素材の持つ有機的な特性や脆さを活かし、作品に個人的な感情や身体性を込めました。彼女の作品における素材の不均質性や崩壊していく可能性は、完璧さや不変性といった従来の価値観に対する挑戦でもありました。

マテリアリティと知覚:現象学の視点

マテリアリティの探求は、観者の知覚体験と密接に関わっています。作品に使用された素材の質感、重さ、温度、匂い、あるいはその変容していく様は、観者の五感に直接訴えかけ、作品に対する身体的かつ即物的な反応を引き起こします。

現象学の視点、特にメルロ=ポンティの身体論は、この関係性を理解する上で示唆深いです。彼の哲学では、私たちの知覚は世界との身体的な関わりを通じて構成されます。現代アートにおけるマテリアリティは、観者が作品に触れたり、その周りを歩いたりすることで、作品と観者の身体との間に具体的な相互作用を生み出し、それによって作品の意味や存在を深く知覚することを可能にします。素材の物理的なリアリティは、観念的な解釈だけでなく、身体を通じた直接的な理解を促します。

例えば、アンゼルム・キーファーが作品に土や鉛などの重厚な素材を用いるとき、その物質性は絵画の表面に物理的な深みと歴史の重層性をもたらし、観者は視覚だけでなく、素材そのものが持つ物理的な存在感を通じて作品のテーマ(歴史、記憶、破壊など)を感じ取ります。

マテリアリティと思想:新唯物論の視点

近年、現代アートにおけるマテリアリティの探求は、「新唯物論(New Materialism)」と呼ばれる哲学的な動向とも共鳴しています。新唯物論は、従来の哲学における人間中心主義や観念論を批判し、物質そのものに内在するエージェンシー(主体性)や生成の力に注目します。

ドゥルーズとガタリの物質に関する議論や、ジェーン・ベネットによる「事物たちの活力(Vibrant Matter)」といった概念は、物質が単なる受動的な存在ではなく、自身の持つ物理的・化学的特性を通じて、人間や他の事物との相互作用の中で予期せぬ効果を生み出す能動的な側面を持つことを強調します。

現代アートにおいては、アーティストが素材を完全にコントロールするのではなく、素材の持つ独自の特性や振る舞いを活かしたり、あるいは予期せぬ変容を受け入れたりする形でマテリアリティが探求されることがあります。ドリス・サルセドが家具や日常品を圧縮したり、糸で縫い合わせたりして再構築する作品は、物質が破壊され、変容し、それでもなお抵抗し、痕跡を残す様を示唆し、暴力や喪失といったテーマを物質そのもののエージェンシーを通して表現していると解釈できます。コーネリア・パーカーが爆破された物体の破片をインスタレーションとして提示する作品も、出来事のエネルギーが物質に刻まれ、その物質が空間において新たな関係性を生み出す様を示しています。

新唯物論の視点からは、現代アート作品のマテリアリティは、人間主体の意図を超えた物質の「生きた」側面や、物質と環境、物質と身体といった多様なアクター間の複雑な関係性を示すものとして捉えられます。それは、私たちが世界を理解する上で、人間だけでなく非人間的な存在である物質がいかに能動的な役割を果たしているのかを問い直す契機となります。

結論:マテリアリティ探求の意義

現代アートにおけるマテリアリティの探求は、作品を単なる視覚的な表象や観念の器としてではなく、物質的な存在として捉え直す試みです。歴史的にはレディメイドやミニマリズムを経て、多様な素材の使用へと展開し、現象学的な視点からは観者の身体的な知覚との深い関連が指摘されます。さらに、新唯物論のような現代思想は、物質そのもののエージェンシーに注目することで、マテリアリティの探求に新たな次元をもたらしています。

現代アートの文脈においてマテリアリティを深く理解することは、作品がどのように制作され、どのように知覚され、そしてどのような思想的背景を持っているのかという多角的な視点を提供します。それは、物質と非物質、人間と環境、作品と観者といった関係性を問い直し、私たちの世界観を拡張する洞察を与えてくれるのです。今後の現代アートにおいても、マテリアリティはさらなる探求の対象となるでしょう。