現代アートにおけるドローイング/素描:身体、思考、痕跡の探求と現象学の視点
はじめに:現代アートにおけるドローイング/素描の地位の変化
現代アートの文脈において、ドローイングや素描は、しばしば絵画や彫刻のための補助的な準備段階と見なされてきた伝統的な役割を超え、それ自体が自律した表現形式として、あるいはアーティストの思考や行為の痕跡として、重要な位置を占めるようになっています。この変化は、20世紀半ば以降のコンセプチュアル・アートの台頭や、プロセス、身体性、非物質性への関心の高まりと深く関連しています。
本稿では、現代アートにおけるドローイング/素描の多様な実践を概観しつつ、それが単なる描画技術に留まらず、いかにアーティストの身体、思考、そして「痕跡」という概念を深く探求する媒体となっているのかを探ります。特に、身体と知覚の関係性を問う現象学の視点から、ドローイング/素描がどのように体験や思考を物質化・可視化する手段となっているのかを考察します。
ドローイング/素描の多様な展開:伝統からの逸脱
伝統的な文脈におけるドローイングや素描が、主に写実的な描写、構図の検討、遠近法の習得といった目的を持っていたのに対し、現代アートにおけるドローイング/素描は、その目的、素材、手法において大きく多様化しています。
例えば、ミニマリズムの文脈では、ソリ・ルウィット(Sol LeWitt)に代表されるように、ドローイングは具体的なイメージを描くことよりも、特定のルールやシステムに従って線や形態を生成するプロセスそのものに重点が置かれました。壁面に直接描かれるウォール・ドローイングは、作品の非物質性や一時性を強調し、指示書としてのドローイングはアイデアそのものの優位性を示しています。これは、作品の物質的な完成よりもコンセプトを重視するコンセプチュアル・アートの考え方と共振するものです。
また、アグネス・マーティン(Agnes Martin)のグリッド・ドローイングは、瞑想的で反復的な線の実践を通じて、感覚的な知覚や精神的な状態を表現しようと試みました。細部への集中と反復は、描くという身体的な行為そのものに意味を与えています。
身体、思考、痕跡としてのドローイング
現代アートにおけるドローイング/素描の重要な側面は、それがアーティストの身体的な行為や思考プロセスを映し出す「痕跡」として捉えられる点にあります。
現象学は、人間の知覚や身体が世界との関わりにおいていかに重要であるかを強調します。モーリス・メルロー=ポンティは、身体が単なる物理的な存在ではなく、世界を知覚し、世界に関わる主体であると論じました。ドローイングという行為は、手を動かし、筆圧を調整し、呼吸を整えるといった身体的なプロセスを伴います。紙や壁面に残された線やマークは、その身体的な動きやエネルギー、あるいは一時的な心の状態の痕跡と言えます。
リチャード・ロング(Richard Long)のウォーキング・アートにおける地図上の線や、アナ・メンディエタ(Ana Mendieta)の身体の形をなぞったドローイングなどは、パフォーマンスや身体的な体験の痕跡としてドローイングが機能する具体例です。これらの作品において、ドローイングは完成されたイメージではなく、特定の時間や空間における身体の存在や行為を記録するものとなります。
さらに、ドローイングは思考のプロセスそのものを可視化する手段でもあります。アイデアの走り書き、ブレインストーミングの図解、複雑な概念の関係性のマッピングなど、ドローイングは論理的な思考だけでなく、直感的で非線形的な思考をも表現し得ます。ウィリアム・ケントリッジ(William Kentridge)のアニメーション作品における木炭ドローイングの反復的な修正や重ね合わせは、歴史や記憶、政治的な問題を思考する彼のプロセスそのものを露呈させています。
記号論的な観点からは、ドローイングをチャールズ・サンダース・パースが言うところの「インデックス」(指示記号)として捉えることも可能です。インデックスは、それ自体が対象との間に物理的あるいは因果的な関係を持つ記号です。煙は火のインデックスであり、足跡は歩いた人のインデックスであるように、ドローイングの線やマークは、それを描いた手の動き、筆圧、そしてアーティストの存在の痕跡として機能します。それは、描かれたイメージ以上に、描くという行為の出来事性を指し示すものとなります。
具体的なアーティストの実践例
- エヴァ・ヘッセ(Eva Hesse): ミニマリズムの構造性を引き継ぎつつも、より有機的で不安定な線を用いたドローイングを制作しました。彼女のドローイングは、作品制作における試行錯誤のプロセスや、身体的・精神的な脆弱性を映し出すかのような痕跡性を帯びています。
- リチャード・セラ(Richard Serra): 彫刻家として知られるセラですが、彼の初期の作品には、インクを紙に投げつけるといった身体的な行為に直結したドローイングがあります。また、鉄板彫刻の設置場所を検討するドローイングも、空間と身体の関係性を探る重要なツールとなっています。
- ジュリー・メレツ(Julie Mehretu): 建築的なドローイング、地図、抽象的な線などを複雑に重ね合わせた大規模なペインティングで知られますが、彼女のドローイング自体も、都市の歴史や権力構造をリサーチし、思考を展開する過程で生成される痕跡の集積として捉えられます。
結論:プロセスと痕跡の重要性
現代アートにおけるドローイング/素描は、写実性や完成度といった伝統的な評価軸から離れ、アーティストの身体的な行為、思考プロセス、そしてそれらが物質世界に残した「痕跡」としての側面にその重要性をシフトさせています。それは、現象学的な身体性への関心、コンセプチュアル・アートによるアイデアの優位性、そして単一の技法に囚われない現代アートの多様な実践の中で再定義されてきました。
ドローイング/素描は、アーティストが世界を知覚し、思考し、関わるための最も直接的で根源的な手段の一つであり続けています。それは、完成されたイメージだけでなく、生成のプロセスそのもの、そしてそのプロセスが刻印した痕跡を私たちに読み取らせることで、作品への深い洞察を提供してくれるのです。今後のドローイング/素描は、デジタルツールとの融合や新たな素材の探求を通じて、さらに多様な形で私たちの身体、思考、そして存在する痕跡を問い続けていくことでしょう。