現代アートの文脈

コンセプチュアル・アートにおける非物質性:言語哲学と記号論の視点から

Tags: コンセプチュアル・アート, 非物質性, 言語哲学, 記号論, アート理論

コンセプチュアル・アートにおける非物質性:言語哲学と記号論の視点から

現代アートの潮流において、コンセプチュアル・アートは、作品の価値を物質的な形態からアイデアや概念へと移行させた点で極めて重要な位置を占めています。この「非物質性」という特性は、単に素材を変えるといった技術的な変化に留まらず、作品の定義、制作プロセス、受容のあり方、さらにはアートと世界の関係性そのものに変革をもたらしました。本稿では、このコンセプチュアル・アートにおける非物質性という特性を、特に言語哲学と記号論という二つの現代思想の視点から掘り下げ、その思想的背景と具体的な作品例を通じて解説します。

コンセプチュアル・アートと非物質性

1960年代半ば以降に顕著になったコンセプチュアル・アートは、「アイデアがそれ自体でアートとなる」という考え方を提唱しました。これは、それまでの絵画や彫刻といった物質的な作品形態を主とするアートのあり方に対する明確な批判あるいは拡張でした。作品の主要な価値が、完成された物体ではなく、その背後にある概念、指示、あるいは思考のプロセスに置かれるようになったのです。

この変革は、作品が物理的な存在であることを必須としないという「非物質性」をもたらしました。例えば、作品はテキストによる指示、地図、写真、あるいは単なる口頭での記述として存在する場合があります。物質的な要素は、あくまでアイデアを伝達するための「記録」や「痕跡」として機能するか、あるいは全く存在しないこともあります。この非物質性への転換は、アートの所有や展示といった制度的な側面にも大きな影響を与えました。

言語哲学からの接近

コンセプチュアル・アートにおける非物質性と密接に関わるのが、言語の役割です。多くのコンセプチュアル・アーティストは、言語を作品の主要なメディアとして採用しました。テキストによるステートメント、指示書、定義、あるいは質問などが作品そのもの、あるいは作品の不可欠な一部となったのです。

この言語への傾倒は、20世紀前半から隆盛した言語哲学の動向と無関係ではありません。例えば、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの後期哲学における「言語ゲーム」の概念は、言語の意味が特定の文脈や使用状況の中で決定されることを示唆しています。コンセプチュアル・アートにおける言語は、特定の文脈(例えば、特定の展示空間や社会状況)の中で機能し、観客の思考や行為を促す「ゲーム」のような性格を帯びることがあります。

また、J.L. オースティンの言語行為論も関連が深いでしょう。オースティンは、言語には単に事実を記述するだけでなく、特定の行為を実行する機能(発話行為)があることを示しました。「開会を宣言する」という言葉が実際に開会という行為を成立させるように、コンセプチュアル・アートにおける指示やステートメントは、観客の知覚や思考、さらには物理的な行動そのものを引き起こす「行為」として機能しうるのです。ローレンス・ウェイナーの「A REMOVAL OF THE CORNER OF A RUG IN USE」(使用中の絨毯の隅を除去すること)のようなステートメント作品は、この言語の行為遂行性を端的に示しています。観客はステートメントを読むことで、その行為を思考し、想像し、あるいは実際に行為に移すことも可能となります。

記号論からの接近

コンセプチュアル・アートにおける非物質性を理解する上で、記号論の視点も有効です。記号論は、記号がどのように意味を生成し、伝達するかを研究する学問です。フェルディナン・ド・ソシュールの構造主義記号論や、チャールズ・S・パースの哲学的な記号論は、アート作品が単なる物理的存在ではなく、特定の意味を指し示す「記号」として機能していることを分析する枠組みを提供します。

コンセプチュアル・アートでは、アイデアが作品の核心であり、物理的な痕跡や言語による記述は、そのアイデアを指し示す「記号」として機能します。ソシュール的な視点から見れば、物理的な形態やテキスト(シニフィアン=記号表現)は、アイデア(シニフィエ=記号内容)と任意的な結びつきを持っています。同じアイデアが、異なる素材や言語によって表現されうるのです。ジョセフ・コスースの代表作『一点の椅子と三つの椅子』では、実際の椅子、椅子の写真、辞書における椅子の定義という三つの異なる「記号表現」が、一つの「椅子」という概念/アイデア(シニフィエ)を指し示しています。作品の問いは、これらのうちどれが最も「本物の」椅子であるか、あるいはアート作品として成立するかという点にあり、これは記号表現と記号内容の関係、そして現実と表現の関係性を巡る記号論的な問いとして読み解くことができます。

パースの記号論における「イコン」(類似に基づく記号)、「インデックス」(因果関係や隣接に基づく記号)、「シンボル」(慣習や規則に基づく記号)といった区別も有益です。コンセプチュアル・アートにおいて、物理的な痕跡はアイデアの「インデックス」として機能することがあります(例えば、パフォーマンスの記録写真)。言語による指示や定義は、ほとんどが「シンボル」として機能します。そして、非物質的なアイデアそのものは、言語や物理的な形態によって「シンボル」としてコード化され、観客によって「解釈項」(記号が喚起する思考や概念)を生み出します。コンセプチュアル・アートの多くは、この記号化と解釈のプロセスそのものを作品としていると言えるでしょう。

思想が技法に与えた影響と作品例

言語哲学や記号論といった当時の思想的潮流は、コンセプチュアル・アートのアーティストたちが非物質性を追求する上で重要なインスピレーションとなりました。彼らは、アートが特定の物質や形態に縛られる必要はなく、アイデアそのものがアートの価値を決定するという考えを深めました。

ソル・ルウィットのウォール・ドローイングは、この思想の実践例です。ルウィットは、壁に描かれるドローイング自体ではなく、それを実行するための詳細な指示書を作品としました。指示書は言語と図によって構成され、美術館のスタッフや専門家がそれに基づいて実際にドローイングを制作します。ここで作品の核心は、一時的な物質性を持つドローイングではなく、恒久的な指示書、すなわち概念にあります。指示書は記号として機能し、特定のルールに基づいて描画という行為を生成します。これは、言語や記号が具体的な形態を生み出すプロセスを示しており、言語哲学における発話行為論や記号論における記号の生成と解釈の連鎖と響き合うものです。

オノ・ヨーコのインストラクション・アートも非物質性の重要な事例です。『Grapefruit』(1964年)に収められた彼女の作品は、観客が心の中で実行したり、実際に行為に移したりするための短いテキストによる指示のみで構成されています。「空を想像しなさい」や「風の音を聴きなさい」といった指示は、物質的な作品を生み出すのではなく、観客の意識や感覚、想像力に直接働きかけます。これは、言語が物理的な媒介なしに直接的に思考や知覚を喚起する力、すなわち言語の行為遂行的な側面を強調するものです。

結論

コンセプチュアル・アートにおける非物質性は、単なる表現媒体の変化ではなく、アートの定義を揺るがす根本的な変革でした。この変革の背景には、20世紀後半の思想状況、特に言語哲学や記号論といった、言語や記号、概念と現実の関係性を深く考察する学問分野の影響がありました。

コンセプチュアル・アーティストたちは、言語を作品の主要なメディアとし、アイデアを記号として扱うことで、物理的な形態から解放されたアートの可能性を探求しました。言語哲学は、言語の行為遂行性や文脈依存性といった視点を提供し、記号論は、作品を記号表現と記号内容の関係として捉え、その生成と解釈のプロセスを分析する枠組みを与えました。

ジョセフ・コスース、ソル・ルウィット、ローレンス・ウェイナー、オノ・ヨーコといったアーティストたちの作品は、これらの思想がどのように具体的なアート実践に結びついたのかを示しています。彼らの試みは、アート作品の価値を物理的な「モノ」から、概念、情報、関係性といった非物質的な領域へと拡張し、現代アートのその後の展開に決定的な影響を与えました。非物質性という特性は、デジタルアートやネットワークアートといった現代の新たな表現形式においても、その重要性を増しています。今後も、技術の進化と社会の変化に伴い、アートにおける非物質性の概念はさらに探求されていくことでしょう。

参考文献