コラージュ/アッサンブラージュにおける断片と全体:差異と反復の哲学の視点から
コラージュ/アッサンブラージュ:断片化された世界の表現と意味の再構築
現代アートにおいて、コラージュやアッサンブラージュといった手法は、単なる素材の組み合わせを超えた、深い哲学的、思想的背景と結びついています。これらの技法は、私たちの生きる世界の断片化された現実を反映し、同時に、断片が集合することで新たな意味や全体像が生成されるプロセスを示唆しています。本稿では、コラージュおよびアッサンブラージュが持つ技法的な特徴を概観しつつ、それが現代思想、特にジル・ドゥルーズの「差異と反復」の哲学とどのように共鳴し、作品の「文脈」を形作っているのかを考察します。
技法としてのコラージュとアッサンブラージュ
コラージュ(Collage)は、紙片や布、写真など、様々な素材を画面上に貼り付けて構成する技法です。20世紀初頭、ピカソやブラックといったキュビスムの画家たちによって積極的に導入され、絵画の平面性や現実の断片の導入を試みました。その後、ダダやシュルレアリスムのアーティストたちは、既成のイメージやオブジェクトの予期せぬ組み合わせを通じて、非合理性や潜在意識の世界を表現する手法としてコラージュを発展させました。
一方、アッサンブラージュ(Assemblage)は、絵画平面にとどまらず、立体的なオブジェクト、既製品(レディメイド)、廃材などを組み合わせて彫刻やインスタレーションを構成する技法を指します。マルセル・デュシャンのレディメイドもその一端を示唆しますが、クルト・シュヴィッタースの「メルツ(Merz)」作品群や、ロバート・ラウシェンバーグの「コンバイン・ペインティング」などは、アッサンブラージュの代表的な例として挙げられます。これらの技法は、個々のオブジェクトが持つ固有の文脈を一度解体し、新たな集合体として提示することで、鑑賞者の知覚や既存の価値観に揺さぶりをかけます。
共通するのは、「断片」を持ち寄り、それらを組み合わせて「全体」を構成するプロセスです。しかし、ここで生まれる「全体」は、伝統的な芸術作品における均質的で調和の取れた全体性とは異なります。それはむしろ、各断片がその異質性を保ちつつ、関係性の中で一時的に形成される、不均質で多層的な構造体として現れることが多いのです。
断片化の時代と全体性の喪失
20世紀以降の現代社会は、情報過多、急速な技術革新、グローバル化、価値観の多様化などにより、かつての強固な共同体や普遍的な物語が解体され、世界が断片化されていると捉えることができます。ポストモダン思想は、こうした全体性の喪失や大きな物語(メタナラティブ)の解体を指摘し、多様で断片的な現実に焦点を当てました。コラージュやアッサンブラージュは、このような断片化された世界の様相を視覚的に表現する手法として、極めて親和性が高いと言えます。新聞の切り抜き、雑誌の広告、商品のパッケージ、廃材といった日常的な断片は、それ自体が特定の社会的、文化的文脈を孕んでおり、それらを並置、結合させることで、現代社会の多層性、混沌、あるいは隠された繋がりを露呈させることが可能になります。
差異と反復の哲学との共鳴
コラージュやアッサンブラージュにおける「断片」と「全体」の関係性は、ジル・ドゥルーズの哲学、特に『差異と反復』における思索と深く共鳴します。ドゥルーズは、プラトン以来の西洋哲学が「同一性」や「類似性」に基づいた思考を優先してきたのに対し、「差異」そのものから出発する思考を提唱しました。伝統的な哲学では、差異は同一性の否定や二項対立として捉えられがちでしたが、ドゥルーズは差異を、生み出す力、多様性を生成するポジティブな力として捉え直しました。
コラージュ/アッサンブラージュにおける個々の断片は、それぞれが独自の「差異」を持っています。異なる素材、異なる起源、異なる意味論的背景を持つこれらの断片が「反復」的に(すなわち、複数)画面や空間に配置され、隣り合う他の断片との「関係性」の中に入ることによって、新たな「差異化」が生まれます。このプロセスを通じて、単なる断片の寄せ集めではなく、それぞれの断片が持つ差異が互いに響き合い、予期せぬ繋がりや意味の連鎖、新たな知覚の可能性が生成されるのです。
アッサンブラージュにおいては、個々のオブジェクトはそれがかつて持っていた機能や文脈から切り離され、他のオブジェクトと並置されることで、新たな集合体の一部となります。この集合体は、各オブジェクトの同一性を完全に消し去るのではなく、それぞれの差異を保ったまま、関係性を通じて新たな「器官なき身体」(ドゥルーズ=ガタリの概念)のような、機能的ではないが生成的な構造体を形成すると解釈できます。個々の断片は部分でありながら全体への回路を開き、全体は断片の関係性によってのみ存在する、という弁証法的ではない動的な関係性が生まれるのです。
具体的な作品例における応用
- クルト・シュヴィッタースの『メルツバウ』: 彼は自宅を巨大なアッサンブラージュと化しました。廃材、ゴミ、日用品などが積み上げられ、増殖していくその構造は、単なる廃棄物の集合ではなく、個々の断片が持つ記憶やエネルギーが共鳴し合う、有機的で生成的な「全体」を生み出そうとする試みでした。これは、日常の断片の中から差異を見出し、それらを反復・集合させることで、従来の芸術の枠を超えた新たな現実を創造する実践と言えます。
- ロバート・ラウシェンバーグの「コンバイン・ペインティング」: 絵画と彫刻、日用品を組み合わせたこれらの作品は、新聞記事、布切れ、タイヤ、動物の剥製など、多様な断片がキャンバス上で衝突、共存しています。これらの断片は、それぞれが特定の時代や文化の記号ですが、ラウシェンバーグはそれらを予期せぬ文脈で組み合わせることで、個々の記号の差異を際立たせつつ、断片間の新たな関係性から生まれる多義的で開かれた意味空間を創造しました。
- 現代におけるデジタルコラージュやオブジェクト・アッサンブラージュ: デジタル技術の発展により、画像の断片化と再構成は容易になり、インターネット上の無数のイメージの断片を用いたコラージュは、情報化社会の断片化された意識を反映しています。また、インスタレーションとして空間全体をオブジェクトの集合体で満たすアッサンブラージュは、鑑賞者を断片化された情報の洪水や物質の過剰の中に没入させ、その中での知覚や意味形成のプロセスを問い直させます。これらの作品は、個々の断片の差異が空間や時間を横断して反復され、観者の身体的な経験を通じて新たな意味の襞を生み出す実践として捉えることができます。
技法と思想の「文脈」
コラージュ/アッサンブラージュは、単に視覚的な面白さを追求する技法ではありません。それは、私たちの認識が断片化され、全体像を捉えにくくなっている現代において、断片そのものが持つ力、そして断片間の差異が関係性の中で新たな全体(構造や意味)を生成するという、現代思想的な洞察を体現する表現形式です。各断片は、それ自体が固有の歴史や意味を持ちながら、集合体の中で他の断片との相互作用を通じて、絶えず変化し、新たな解釈の可能性を生み出し続けます。これは、ドゥルーズが説くように、差異は固定されたものではなく、生成のプロセスそのものであるという考え方と深く連動しています。
結論:生成し続ける断片の力
コラージュおよびアッサンブラージュは、現代アートにおいて、断片化された現実への応答であり、また、差異を基盤とした生成的な思考を視覚化する有効な手段であり続けています。これらの技法を通じて生み出される作品は、鑑賞者に対して、個々の断片が持つ異質性を認識させつつ、それらが集合することで生まれる予期せぬ繋がりや、多様な意味の可能性を開示します。それは、固定された「全体」ではなく、差異が反復され、関係性の中で絶えず生成し続ける、動的な「全体」のあり方を示唆していると言えるでしょう。現代社会がますます断片化、複雑化していく中で、コラージュ/アッサンブラージュという手法は、今後も多様な形で進化し、新たな表現の地平を切り開いていくと考えられます。
参考文献:
- ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
- ロザリンド・クラウス『オリジナルティの神話』(冬樹社)
- ハル・フォスター他『視覚芸術の歴史』(佐々木敦監訳、飯田隆昭訳、ブランコ出版)
- 各種現代アートに関する論文・批評