現代アートの文脈

アプロプリエーション・アートとオリジナリティの解体:ポスト構造主義と記号論の視点から

Tags: アプロプリエーション・アート, オリジナリティ, ポスト構造主義, 記号論, 現代アート

アプロプリエーション・アートとは

アプロプリエーション(Appropriation)とは、「借用」「流用」「盗用」などを意味する言葉であり、現代アートにおいては、既存のイメージ、作品、オブジェクトなどを自身の作品の一部、あるいは全体として取り込む技法を指します。この手法は、単に既存のものを無断で使用することに留まらず、それらを新しい文脈の中に置くことで、元の意味や価値に揺さぶりをかけたり、作品が置かれる社会的な状況や制度(例えば、著作権や美術館システム)に対して批評的な問いを投げかけたりする重要な戦略となり得ます。

アプロプリエーションの萌芽は、マルセル・デュシャンの「レディ・メイド」にまで遡ることができます。既製品を芸術作品として提示することで、芸術の定義や作者の役割といった従来の概念に疑問を投げかけたデュシャンの実践は、その後のアプロプリエーション・アートの思想的な基盤の一つとなりました。1970年代以降、特に写真表現の分野で顕著となり、リチャード・プリンスやシェリー・レヴィンといったアーティストたちが、既製の写真作品や広告イメージを引用・再撮影・再構成することで、オリジナリティ、著作権、ジェンダーといったテーマを探求しました。

「オリジナリティ」概念への問い

アプロプリエーション・アートが最も根源的に問いかける概念の一つが、「オリジナリティ」です。伝統的な芸術観においては、作品は唯一無二の天才的な作者の創造性の発露であり、その「オリジナル性」こそが価値の源泉であると考えられてきました。しかし、アプロプリエーションは、既存のものを積極的に「引用」し、時にはほとんど手を加えずに提示することで、このオリジナリティ神話を解体しようと試みます。

作品が完全にオリジナルの要素のみで構成されているという考え自体が、近代以降に構築されたフィクションではないか。すべての創造は、先行する文化や表現の断片の組み合わせ、あるいは引用・変容によって成り立っているのではないか。アプロプリエーション・アートは、このような疑問を突きつけ、作品の価値を作者の独創性ではなく、既存の文化コードや社会構造との関係性の中で捉え直すことを促します。

思想的背景:ポスト構造主義

アプロプリエーション・アートが問いかけるオリジナリティ概念の解体は、1960年代以降に台頭したポスト構造主義の思想と深く結びついています。特に影響力を持ったのが、ミシェル・フーコーの「作者とは何か(Qu'est-ce qu'un auteur?)」やロラン・バルトの「作者の死(La mort de l'auteur)」といったテクストです。

バルトは、「作者の死」において、テクストの意味は作者の意図によって決定されるのではなく、読者がテクストを読む過程で多種多様な記号や文化的なコードを組み合わせることによって生成されると論じました。フーコーはさらに進んで、作者という概念自体が、テクストを分類し、権威づけ、流通させるための歴史的・社会的な機能として生まれたものであると指摘しました。

これらの思想は、「作品の価値は作者のオリジナリティにある」という考えを根底から揺るがしました。もしテクストの意味が作者の手を離れて読者や文脈によって生成されるのであれば、既存のテクスト(イメージ、作品など)を引用し、新しい文脈に置くアプロプリエーションという手法は、非常に有効な戦略となります。作者の「オリジナリティ」ではなく、既存の文化的記号の組み合わせと再意味化によって生まれる新たな「文脈」こそが、作品の批評性や意義を生み出す源泉であると考えられるようになるのです。

思想的背景:記号論における引用と差異

アプロプリエーション・アートにおける既存イメージの引用は、記号論の観点からも分析できます。ソシュール的な記号論では、記号(シーニュ)は記号表現(シニフィアン、音やイメージ)と記号内容(シニフィエ、概念)の恣意的な結びつきであり、その意味は他の記号との差異によって生じると考えられます。

アプロプリエーションは、既存のイメージ(シニフィアン)を元の文脈から切り離し、新しい文脈に移し替えます。この過程で、元のシニフィエとの結びつきが緩み、新しい文脈における他の記号や文化的コードとの関係性の中で、異なるシニフィエが付与される可能性があります。これは、まさに記号の反復と差異によって意味が生成されるプロセスと言えます。

リチャード・プリンスの「カウボーイ」シリーズは、広告写真から引用されたタフなカウボーイのイメージを再撮影し、自身の作品として提示しました。ここでは、広告イメージという元の文脈(商品販売のための記号)から切り離されたカウボーイ像が、アートという新しい文脈の中で、アメリカ神話、男性性、あるいはイメージそのものの記号的性質といった主題を探求するための記号として機能します。元の広告とは異なる意味や批評性が生まれるのは、記号が反復されつつも、新しい文脈(差異)の中に置かれたためです。

具体的な作品例

これらのアーティストの作品は、単に既存のものを「拝借」しているのではなく、その行為自体を通して、オリジナリティ、作者性、作品の価値、著作権、消費文化といった現代社会や芸術制度における根源的な問いを投げかけているのです。

結論

アプロプリエーション・アートは、既存のイメージや作品を戦略的に利用することで、伝統的な「オリジナリティ」概念を解体し、作品が作者の独創性だけでなく、既存の文化的コードや社会的な文脈との相互作用の中で意味を生成することを浮き彫りにしました。ポスト構造主義による「作者の死」の宣言や、記号論における意味生成のメカニズムといった思想的背景は、このアプロプリエーションという手法に理論的な根拠を与えています。

アプロプリエーションは、現代アートのみならず、音楽、文学、インターネット文化(ミーム、リミックスなど)においても広く見られる現象であり、既存のものを引用・再編集・拡散する現代社会のあり方を反映し、あるいは批評する重要な戦略であり続けています。その実践は、著作権などの法的・倫理的な問題を常に孕みますが、それ自体がアプロプリエーションが投げかける問いの一部であるとも言えます。この技法と思想の「文脈」を理解することは、現代文化における創造性や所有権のあり方について深く考察するための重要な鍵となります。